【コラム】ムットクルフェ誕生秘話(後編)
こんにちは、代表の会田です。昨日のコラム前編の続きをお送りいたします。
種牡馬入りを考え直す
この頃、国内では地方所属のまま出られるレースが限られていた事から
ハッピーグリンを何とか種牡馬にしようと、層の薄くなりそうな香港のGIに挑戦して何とかGIのタイトルをと思いましたが結果実らず、
預託生産であのような事があったので、ここでハッピーグリンの種牡馬入り計画を改めて考え直します。
2020年以降の成績では正直、自分以外に種付けする人はいないと思いますし、
きっとセールでも売れないので、産駒は全部自分で面倒を見て走らせなければいけない。
また、恐らく生まれて来るのは芝向きの馬なので、
地方オーナーズクラブの馬としては厳しいでしょうし
預かってくれる中央の先生がいるのかなという事を考えると
とてもじゃないけど金銭的に面倒を見切れないなと思いました。
仔馬が3頭亡くなってしまったのも、
生きとし生けるものの生に手を出してはいけないという
「神の思し召し」ではないか。
そう思う事にして、残念ながら種牡馬入りは断念し、
ホーストラスト北海道さんで、功労馬として余生を過ごしてもらう事になりました。
預託生産からも撤退?
初年度の3頭を亡くして、この頃はハッピーグリンの種牡馬入りだけではなく、
預託生産自体を辞めたくなってしまっていました。
預託生産だと、今回のような事もありますし、
たとえば脚が曲がっている馬が産まれて来たとしても
全部自分で面倒を見なければならないですよね。
また、不受胎だったら空胎のまま1年間預託料がかかり続けてしまう。
そんなリスクを背負うよりは、セリで買った方がよっぽどお買い得ではないか、と思うようになりました。
ただ、サラオクで百万前後で買って来た繁殖牝馬を売却しても値段が付かないでしょうし、
自分で走らせていた馬で愛着もあるため、処分する訳にもいきませんので、
今いる繁殖だけは最後まで面倒を見て、今後は一切増やさないようにしようと心に決めました。
アウトブリードでタフな仔が産まれる
さて、リンデンブリューテ。
1年目はケイムホームを種付けしたのですが、
一般的に近親配合は体質の弱い仔が産まれてくると言われていて、
Mr.Prospectorの3×4というクロス(近親配合)が良くなかったのかなあと思い、
2年目は、健康を意識してアウトブリード(近親配合なし)となる
トビーズコーナーを配合しました。
そして産まれて来たのがリンデンブリューテの21、後のムットクルフェです。
トビーズコーナーは、一般的にはあまり聞いた事のない種牡馬かもしれませんが、
地方競馬では走る馬を結構出していて、道営の調教師の間では隠れた人気の種牡馬です。
お母さんのリンデンブリューテはとても母性のある馬で、
初仔を亡くしてとても悲しんでいた様子だったとグローリーFの名古屋代表から聞いていましたが
本馬は初仔の分まで可愛がって愛情を持って育てられたそうです。
また、上記のアウトブリードが効いたのか、
牧場時代から一切大きな病気をする事なく健康そのもので、
足元も問題なく、入厩してからも田中淳司厩舎のハードトレーニングに
一切へこたれる事なくデビューまで進める事が出来ました。
大井での快進撃
ムットクルフェは道営時代の最初の3戦はゲートも悪く、秀でた成績を挙げる事が出来ませんでしたが、
実戦で競馬を教えながら中距離に路線を変えると変わり身をみせ勝ち上がってくれました。
しかし、クラスが上がるとウィナーズチャレンジでも平場の3組戦でも相手なりに走ってしまうような感じで勝ちきれず、
きっかけを掴めないまま道営のシーズンが終了し、大井競馬に移籍しました。
この頃、ちょうど成長期と重なったのか大井に移した後馬体が20kgぐらい巨大化。
相手なりに走る、というのは相変わらずですが、
勝ってクラスが上がったり、斤量が増えたりしてもこちらの想像していたよりも一歩上の戦績を残してくれる。
強い相手と戦うたびに強くなっていく、まるでドラゴンボールの「サイヤ人」のような馬へと変貌しました。
特に矢野騎手が「前に目標を置かないとソラを使ってしまう」という本馬の癖を手の内に入れて乗ってくれるようになってからは一変し
羽田盃TRのクラシックチャレンジを優勝して、同じくTRに挑戦していたブラックバトラーで成し得なかったクラシックの出走権を手にしました。
羽田盃での健闘
この「相手なりに走る」というのが果たしてJpnIの舞台で通用するか?
ノーマークの気楽な立場で臨んだ羽田盃でしたが、3・4コーナーでは勝ちもあるかなという手応えで
結果ハイペースに飲まれて一杯になってしまいましたが、5着掲示板と頑張ってくれました。
着拾いに徹すれば馬券圏内もあったかもしれませんが、
勝ちに行っての5着ですから価値があります。
地方馬の中では2位だったので、地方馬上位3頭に入れば獲得出来る
東京ダービーの出走権を獲得。
更にこの羽田盃は地方馬に地方競馬全国協会からの奨励金が出ており、
額面の賞金250万円以外に1着賞金の5%の250万円、
さらに指定競走勝ち馬に与えられる出走手当の100万円などを含め
600万円近くの入金がありましたから、
募集価格550万の本馬に出資したオーナーさん達はこの1戦で馬代金の元を取ってしまったことになりました。
もちろんこれまでの稼ぎもありますから共有オーナーの皆様は大幅プラス収支で、
本馬の共有で馬主資格を取得された方も多く、まさにハッピーな馬主ライフを送って頂けている思います。
人生万事塞翁が馬
一度は、預託生産を辞める事すら考えるくらい辛い思いをしていたのに
初めての預託生産馬がまさかこのような活躍をしてくれるとは夢にも思いませんでした。
「人生万事塞翁が馬」ということわざがありますが、まさにこの事でしょうか。
ここまで育ててくれたグローリーファームさん、田中淳厩舎・的場直厩舎の皆様には感謝しかありません。
ちょうど今朝、的場先生と話してレース後疲れはあるものの間隔があるので大丈夫でしょうということで、
正式に東京ダービーに向けて調整していく事になりました。
地方から打倒中央を掲げるオーナーズクラブで改革初年度のダービーに自ら配合を考えた馬で挑戦。
そして、4~5戦のキャリアで羽田盃に出て来た高額馬もいる中、
本馬はここまで17戦のキャリアでタフに走っての出走。
サラオクで84万の母馬に、種付け料20万の父馬の配合の馬で挑戦というのも野武士感があって良いですよね。
競走馬の1頭1頭には様々なドラマがあるものですが、
たまたまこのエピソードを読んで頂いた方は、
こんな事があって生まれて来た奇跡のような馬なんだよと思いながら
少しでも応援に力を入れて頂ければ幸いです。