【コラム】ムットクルフェ誕生秘話(前編)

皆様こんにちは、代表の会田です。

先日、オーナーズ共有で預託生産馬のムットクルフェが羽田盃5着となり、ここのところスポーツ紙の取材を受ける事も多くなって来たのですが、

ここに来るまで様々な紆余曲折があって、とても紙面の小さなスペースでは語り切れないので、
ここでご紹介したいと思います。

預託生産を始めたきっかけ

時は遡る事2018年。所有馬のハッピーグリンが
セントポーリア賞を勝ち、地方競馬からJRAのクラシック路線に殴り込み。
残念ながらクラシック出走は叶わなかったものの、
1000万下のSTV賞とOROカップを勝ち、ジャパンCではアーモンドアイの7着。
オグリキャップとホーリックスがたたき出した従来のレコードである2分22秒2で走り抜け、
この年のNARグランプリ最優秀ターフ馬に輝きました。

愛馬がここまでの活躍を見せると、馬主なら誰でも種牡馬にしてやりたくなりますよね?

そこで、ハッピーグリンのお嫁さんを探そうと、
この頃からサラブレッドオークションでハッピーグリンに合いそうな血統の牝馬を物色して地方競馬で走らせていました。

まずは、現在、産駒を募集させて頂いているビーチキャンドル
競走を続けているうちに緑内障で片目の視力がほとんど失われてしまったのですが
ロードカナロアの初年度産駒で、アーモンドアイ・ステルヴィオ等の活躍で
ちょうど種付け料が大幅UPしたタイミングだったので繁殖入りさせました。

次に、後にムットクルフェのお母さんになるリンデンブリューテ
元グリーンファーム愛馬会の馬で、佐賀の東眞市厩舎で走らせていたのですが、
中々成績が上がらなくて、ちょうど、2019年にフェブラリーSをインティが勝ったときに
ケイムホームが九州にいて、種付け料が20万円という事を知り、
すぐに引退させて種付けしてから北海道のグローリーファームさんに送りました。

そして、所有馬で重賞のハヤテスプリント3着の実績がある自馬のアムネシアを成績が上がらなくなって来た事から繁殖入り。

ハッピーグリンはまだ現役でしたが、2019年の種付けシーズンには
上記3頭の繁殖牝馬を用意して、自分で考えた配合の種牡馬を種付けしました。
自分で走らせていた馬に何を付けたら良い仔が産まれてくるか。
元々、「ダービースタリオン」で競馬を覚えたので、
様々な種牡馬から配合を検討する作業が楽しくて仕方ありませんでした。
まさに「リアルダビスタ」ですね。

またちょうどこの頃、知人馬主が繁殖を預けていた牧場さんが借金で夜逃げして
預けていた繁殖を複数頭亡くしてしまったという怖い話をtwitterで見ていたので
リスクヘッジのため、3頭全部別々の牧場に預けました。

しかし、そこまで念を入れたにも関わらず、2020年のお産シーズンに大変な悲劇が訪れる事になります。

初年度生産馬全てが亡くなる

まず、最初に出産予定だったアムネシアは予定日を過ぎても中々生まれず。

子宮の中で馬が大きくなり過ぎてしまっていたようで、母馬は難産で子宮が破裂し亡くなってしまいました。

仔馬は、子宮の中で膝が大きく曲がる奇形となってしまい、立ち上がる事すら出来ず安楽死。

仔馬が亡くなったのはもちろんですが、特にアムネシアは新馬から使っていた思い入れのある馬だったので大変ショックでした。

次に産まれたビーチキャンドルの仔は、生まれながらに腸閉塞があるという
難病で、生まれた時に9割方助からないだろうと獣医さんに言われていて
やはり翌日には亡くなってしまいました。

そして、最も困難だったのがリンデンブリューテの仔。

関節に水が溜まる病気で牧場さんも何とかしようと24時間体制で監視を続けてくれたのですが
複数回の関節洗浄を経ても良化せず、厳しいだろうということで安楽死させる事に。

ゆくゆくはハッピーグリンのお嫁さんにと意気揚々と始めた預託生産ですが、
初年度は仔馬を3頭全部、しかも1頭は母馬ごと亡くす事になってしまったのです。

こんな事が起こるだろうとは思っていませんでしたから、
当然保険にも入っていなかったですし、
特にリンデンブリューテの仔は手術費用がかなり高額だったため
喪失感だけでなく、金銭的なショックも重くのしかかりました。

生産の厳しい現実を知る

自分これまでセリやクラブに出て来る馬しか見る事はありませんでしたが、
それですら怪我などで競走馬になれない事も珍しくないのに
生産の段階で人知れず亡くなってしまう馬もたくさんいるんだなあという事を
身を持って知ることになりました。

このような経験をすると競走馬として輝かしい戦績を残すなんて奇跡のような事で、
競走馬としてデビュー出来ただけでも尊い事なんだなあと、深く思うようになりました。


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